最近omoshiroiと思ったこと -その1-

その他

恐れていた事態が現実のものとなる…?

こんちわ。最近皮下脂肪がついてきたカズマッチョです。

やっぱりさ。だいぶ冬消えたよね?

最近はさすがに寒うなーてきたけども。去年よりさ、今年の冬やっぱりなんかあったかかったよね?

これ毎年言ってるけどさ、今年の夏まじでやばいんちゃうか?

地震が先か、気候変動が先か、それとも少子高齢化が先か?
この持続不可能な社会をみんなが認めることができる日は、これはたぶんもう近いね。

裸の王様に「いや、お前それ裸やん。服着てないやん。」ってつっこめる勇気のある奴が、この社会にはもっと必要だよね。

というわけで、今回は最近見つけた面白いなと思った話を少し紹介したいなと思いなす。

全部で3つあります。

それでは早速行きましょう!最近おもしろいと思った話を、、、クラッシュクラッシュッ!!

①「なぜ我々は、喜んで”資本主義の奴隷”になるのか?」

一つ目は、またまた「資本主義」についてです。

最近、「なぜ、我々は喜んで資本主義の奴隷になるのか?:新自由主義社会における欲望と隷属」(著者:フレデリック・ロルドン)という本を読んだんですけど、その中に「あ、それそうかも。」と思った、人が資本主義の奴隷になってしまう理由があったので少し紹介します。(やっぱりこの手のことを考えている人は世界中にいっぱいいるんだ!仲間がいる゛よ!!!)

それは、「仕事が喜びになるから」です。

マルクスは資本主義の問題点を「資本論」の中で構造的に解明したと言われていますが、この著者はそれに加えて、15世紀の哲学者スピノザの「情念の哲学」を統合しながら「感情」の部分でもそれを解き明かそうとしました。

昔は、みんなでシェアするべき地球の富=「コモン」の囲い込みによって、「日々の生活を生き抜くために」という飢えを刺激とした「悲しい感情」で人々は資本主義に従い、経営者や資本家の言うことを聞いていました。

しかし、現代の新自由主義社会ではそのような「囲い込み」のような構造や、「悲しい感情」だけでは、人々は資本主義になかなか従ってくれなくなりました。

なので、人々が自ら「主人の欲望」の実現のために動き、そして喜んでその欲望を叶えようと努力する存在になってもらうために新たに必要になったものがあります。

それが「仕事による自己実現」です!

つまり、「悲しい感情」だけではなく、内在的な「楽しい感情」を呼び起こさせることによって、賃金労働者を労働それ事態によって喜ばせようとし、資本主義や新自由主義に従うように促していると著者のロルドンは話します。

ちなみに、ロルドンは主人の欲望に労働者の欲望を重ね合わさせることを「欲望の整列化」と呼んでいました。

なので、「資本主義の奴隷になるなと言われても、仕事が楽しくてそれに満足している人に対しては何を言っても無駄だし、それはそれで別にいいよね」とも話しています。

しかし、問題なのは「不満足な賃金労働者たち」であると。。。

というわけで本の内容は大体そんな感じです。あとは資本主義の奴隷になる理由が他にも色々書いてありましたが、それについてはまた長くなるので、どっかのタイミングでより詳しく紹介できたら紹介したいと思います。気になる人はぜひ本を読んでみてください。

②「人間=ノイズ」

2つめは、養老孟司の言っていたことで面白いものがあったのでそれを紹介します。

「人間=ノイズ」ということについてです。

これはどういうことかというと、まずは養老孟司が実際に体験した話を聞いてください。

ある日、養老さんが新しい口座を開設しようと銀行に行った時のことです。そこで養老さんは「本人確認」をする必要が出てきました。

しかし、その時に養老さんは本人確認ができる身分証明書を持っていませんでした。

そして、そこで困った銀行員が放った一言が、

「うーん。わかってはいるんですけどね。。。」

…。

そうつまり、この社会では実は「本人」が「本人確認」で必要とされていないんです。

それが本人であるとわかっても、それを確認できる書類がないといけない。つまり「情報」さえあれば本人不要。

「じゃあ俺いらねえじゃん!」っていう。

これが都市化が進んだ社会で自然が排除されるようになると、今度は自然である人間までもノイズとして扱われて、排除される方向に行くという現象の一端です。

この現象は人間の「it化」にもよく現れていますよね。

「it化」とは人間が「置き換え可能な存在」になるということで、それはつまり社会が「ノイズ」を排除してきたことの帰結です。

人間から人間的なノイズを排除したら、「じゃあ別にそいつじゃなくてもいいじゃん」ってなるからね。

でも人間的なノイズがない奴って、それただのつまらない奴だよね?

そして、社会が安心便利快適を追求し、さらに都市化を進めてきた結果、その後社会には人間の頭で考えた「意味のあるもの」しか存在しなくなって、人間にもそのような「意味のある存在」になるように社会が強制するようになったと養老先生は話します。

だから、やまゆり園のような悲劇も起きると。

「こんなやつらは生きてる意味がないんだ。」これはその犯人が放った一言です。

でもそう考える奴は頓馬です。

意味のあるものしか周りにないから、そういう発想になるんです。

自然には役に立つのか立たないのか、なんなのかようわからんものばかりですよね。河原の石ころとか。

役に立つかどうかなんてわからない。でもただそこに気づいたら存在していた。

ただそれだけのこと。意味なんてない。人間もそう。

でもそれでいいじゃん。そもそも人間自体がなんで存在してるのかなんてお前にもわからねえだろって。

じゃあ、あなたはこの世界に役に立つから生まれてきたの?

なので犯人は頓馬です。ただただ育ちが悪かったとも言えます。

まあ、こんなようにして、やっぱり人間が大規模定住者会を営むようになって、昔の人が恐れていた、その結果として起こるであろう事態がマジで色々と現実のものとなりつつあって、「昔の人ってやっぱりよくわかってたんだなあ。マジですごいな。かしこいな。」と思いました。

③「社会への適応」

というわけで、最後は「社会への適応」についてです。

これは自分で思いついたことも含みます。

僕は今「社会へ適応すること」をかなりの割合で拒否しようとしながら、片足の指先だけ「スッと」社会の中にたまに戻したり戻さなかったりして生きていますが、これは本音を言うとけっこうきついと感じる時もあります。

なので、やっぱりある程度は社会へと適応しておいた方がいいです。たぶんそっちの方が楽なので。(そういうこともあってやっぱりバイトを始めたのはよかったです。)

前回も言いましたが、社会はなくなることがないのでね。ある程度のところでもう少し折り合いをつけてもよかったなと、最近はけっこうその点は反省するようになりました。。。

「マジガチで」社会へ適応することを拒絶しすぎてたなと。。。

しかしながら、いまでもこの「拒絶しようとする感覚」はおかしくはなかったとも思っています。

無職になって以来、いろいろな本を読んだりいろいろな哲学者の話を聞きながら、やっぱりそう思いました。

なので、「社会に適応する」ということ、それは「ある条件」のもとでのみ行うべきであると思うようになったというのが今回の最後のお話です。

その条件とは、「本当は適応したくないけどある程度は我慢して適応する」という前提のもとで行うということです。

つまり「仕方がないので”あえて”そうする」ということ。

じゃないと、「適応すること」が当たり前の前提になって、「社会にマジガチで適応しようとする奴」が出てきてしまうからです。なのでこれは「つらい社会の中でもある程度楽に生きるための作法」って感じです。

ちなみに「社会に適応する」とは、「社会の従いたくないこと(主には法やルール)にも仕方がなく黙って従う」ということです。

しかし、このバランスが今は恐らく我慢によりすぎている。

みんなが我慢してやっていること、例えば「8時間労働」などを我慢しないでやらない奴(ぼくなど)が出てくると、普段我慢している人たちの中にはそれに対して怒りを覚える人も出てくると思います。(この怒りは神経症的反応で、「自分も本当はそうしたいけどできない」ということへの裏返しなんだとは思いますが。)

しかし、これは本来であれば逆のはずです。

「あ、確かに今はちょっと我慢しすぎてたな、もう少し自然によった生き方をしよう」

こうならないとおかしい。

じゃないと、我慢のチキンレースが始まって、僕みたいに我慢できなかったやつから社会からどんどん脱落していき、我慢インフレがさらに加速し、少子化になり、気候変動が起き、「夏あっつぅぅ」となり、結局は自分の首を自分でしめる結果になるからです。

だってやろうと思えば「週休3日制」や「6時間労働」なんかも、賃金一緒で労働時間減らすだけで簡単に実現できますからね。つまりわざと無理して忙しくしているだけ。

なので、大切なのは「社会への適応はあえてやっている」という感覚。そして本当であれば「やるべきでないやりたくないこと」はやめなくてはいけない。

本当はこれを社会に出る前段階で誰かに教えてもらいたかったですね。今思うと僕は小さい時から色々なことに真面目に適応しようとしすぎていたのでね。

恐らくもしこれを知っていたら、何かしらの形でもう少し社会に適応しようとしていたかもしれません。。。いや、やっぱり拒絶していたかもしれんが。。。

なので、僕は社会という名の学校の不登校児みたいなもんですわな。

あ、そうだ。なので僕は32才になるまでに、ポケモントレーナーではなくボイストレーナーになることに決めたので、これからはそのための修行を始めたいと思います。(ガチで)

果たして、KAZUMACHIはボイストレーナーとなって「真の社会復帰」を達成することができるのか・・・?

クラッシャー KAZUMACHI  CHAPTER2 「ボイストレーナー修行編」

乞うご期待!!

 

おわり。

タイトルとURLをコピーしました