社会は変わるまで変わらない
こんちわ。KAZUMACHIでござい。
みなさま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
そしてそしてみなさま、私クラッシャーKAZUMACHI、これまで社会を一度クラッシュしたいと思いながらこのブログを書いてまいりましたが、社会はクラッシュできないことが判明したため、今日限りを持ちまして「クラッシャーKAZUMACHI」は引退します。
日々ブログを読んでくれたみなさま、本当にありがとうございました。
さようなら、クラッシャーKAZUMACHI、、、
そしてこれからは「クリエイターKAZUMACHI」として活動していこうと思います。
なのでこんにちわ、クリエイターKAZUMACHI。これからよろしく。
…。
というわけですべて冗談です。すみません。変な嘘!変な嘘!
ただ、「社会をクラッシュできない」ってことは多分本当で、それは先日ボエシの「自発的隷従論」を読み終わりまして、ようやくそのような結論に至りました。
「自発的隷従論」については、またどこかのタイミングで詳しく紹介したいと思いますが、まあとにかく、おそらく一度でも「社会」や「国家」のようなシステムが始まってしまうと、あとはその中をある程度修正したりはできるけど、基本的にはもうなるようにしかならないのかもって本を読んで思いました。
なのでそのせいかは知らんけど、1万年以上前に狩猟時代が終わって以降、確かに人間が大規模定住を始めて社会ができてから社会がなくなったことは一度もありません。
言葉による「法」で縛られた「社会」は、狩猟時代に比べると圧倒的に安心で便利で快適です。
だから、それを知ってしまった以上は「社会」を知らなかった頃にはもう戻れない。
つまり人間はもう「社会」の中で生きて行くしかない。
なので、今までは知識やアイデア、あとはみんなで団結するなどの「力」によって、社会を変えられるんじゃないのかと思っていましたが、結局変わったところで社会のなかで生き続けることに変わりはない。なぜなら社会自体をクラッシュすることが不可能だから。
何が言いたいのかというと、どんな「社会」になっても結局は「つまんない社会」を生き続けなければいけないってことです。たとえそれが「良い社会」でも。
つまり「社会」ってそもそもつまんないもので、しかも人間はもうそこで生き続けないといけない宿命にあるっていう結論。
そして、「社会」を「力」で変えることは確かにできるけど、それは本当にその一瞬に大きな風が吹いてくれたときだけだし、そのような変化も結局は長続きしない。
様々な社会がただ「繰り返される」だけ。
なので、社会学者の宮台真司がいう「社会という荒野を仲間と生きろ」という意味がようやくたぶんなんとなくわかりました。
「社会」= つまらない、でもそこで生き続けなければいけない
ということ。
でもこれって辛いよね?
だから、人間は「法外」の感覚を社会の中でも持ち続けないと生きていけない。
おもしろく「つまんない社会」を生きる。
そのために必要なのが「法外」の感覚。ピュシス(自然)とか、花鳥風月。性愛、笑い、お祭り、子ども。芸術とか愛や正義もそうだし、「言外のダイナミズム」や「ハイエンド」もそう。
これを社会のみんなや仲間との共通認識にできれば、「あえて」「仕方がなくて」でも社会を生きていけるよね。
あと、のちのち「自発的隷従論」についてブログでも紹介しようとは思っていますが、本の中でも言われている通り、たとえ圧政者が社会に生まれても、ただそれにみんなが従わなければ彼らは勝手に自然消滅します。
なので、NHKとか、今話題のフジテレビとかも、政治活動などでその消滅のスピードを多少は早めることはできるけど、結局はみんなが見なくなるまでは残り続けるからね。
消滅する時が来たら勝手に消滅する。それはみんなが自然にそれに従わなくなった時。まあ要はただ無視してればいいだけ。
社会も変わるべき時が来たら勝手に変わる。
社会に関しては、それがおそらく気候変動や地球温暖化、地震などの天変地異なんだと思います。
変わらざるを得ないから変わる。だから養老孟司はいつも「地震待ち」って言ってます。
なので、変わるべきだと頭で気づいたとしても、できることはそれについて家族や仲間と話し合うことくらいで、個人としてできることは多少はあるけど、社会としてはあんまりできることはないって感じですかね。
まあそんなとこです。
最近考えてたことは。
そうだ!そんなことより、先日友達とここに行って来ました。
埼玉県の飯能市にある「天覧山」です。
友達とポケポケをやっていたときに、「次の火曜日友達と山行くんだけど一緒に来る?」と誘ってもらって、山や自然に行きたかったので、あと暇だったので即日OKで行って来ました。
飯能駅に召喚されるKAZUMACHI。最近「筋肉番付」や「SASUKE」などに出演する筋肉タレントたちの宣材写真のポーズにハマっているため、そのポージングを早速披露している様子。
道中の山道。
天覧山の西側にある多峰主山(標高271m)の頂上からの様子。
天覧山は標高が200メートルほどと、初心者にも登りやすい山だったので(普通に疲れたけど)、楽しく登れました。40分くらいで頂上まで行けます。
そして、天覧山のすぐ西側にある多峰主山の山頂で友達がコーヒーを豆から挽いて淹れてくれました。めっちゃ美味しかったです。。。
ちなみに「天覧山」というのは明治天皇が登頂されたので、その名前で呼ぶようになったらしいです。(「天覧」というのは天皇が見たという意味で、ほかにも野球の「天覧試合」、「天覧相撲」のような言葉がある。)
それ以前は「愛宕山」と呼ばれていたみたいで、山麓にある能仁寺に愛宕権現(山岳信仰と修験道を融合した神仏習合の神号)を祀っていたためその名称だったらしいです。
山麓にあった仏様たちの像
マムシ注意の看板を見た友達に「ちょっとマムシのモノマネしてみて」と言われて、人生で一度も見たことないマムシのモノマネをしてみるKAZUMACHI。
モノマネのクオリティ以前に、寝不足だったこともあり写真をチェックしてまず「顔しろっ!」ってなりました。
その後、夕方に家に帰って爆睡しました。
というわけで、今回は以上です!
みんなも山登る前はちゃんと寝ような!集合写真見て「顔しろっ」てなるで!
おわり